銘菓で日本3大銘菓というものをご存知でしょうか。
日本3大銘菓をご紹介します。
松江風流堂さんの歴史も古いですね。第七代松江藩主松平不昧公は教養のある文化人であったので、茶道にも関心が高く茶や茶器だけでなく茶菓子にも非常に造詣が深かったようです。十八歳で茶道に出会った松平不昧公は、数多くの茶会を開催しさらに茶会の様子を記録として残していたのですね。松江風流堂・山川では松平不昧公が開催した茶会の記録を基にして「不昧公好み」銘菓の中でも有名な「山川」を復活させたのです。松江風流堂では松平不昧公からの伝統を今に受け継ぎ「若草」「朝汐」「路芝」などの和菓子を作っています。松江風流堂はJR松江駅から松江城に向かって歩くとすぐに寺町店、次が本店があります。さらにお城に向かうと京橋店があり、お城の裏には塩見縄手店があります。特に塩見縄手店は武家屋敷の中にあるため非常に落ち着いた店構えとなっています。お菓子を購入することとお店を見て楽しむことが一緒に出来ますね。ひょっとするとどこかから小泉八雲が現れてきそうな気までしてきます。松江風流堂・山川の「粒より」という「きんつば」は、寒天で包みこんでいますので甘くなく何個でも食べられます。
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長岡大和屋・越の雪は新潟県長岡市柳原町にあり、300年ちかい歴史を持っているお店です。安永7年(1778年)、長岡藩9代藩主は病になったとき長岡大和屋が寒晒粉に甘みを加えて作った菓子を献上したところ、藩主の食欲が回復し病が治ったのです。藩主は非常に喜んで、長岡大和屋が作って藩主に献上した菓子に「越乃雪」の名をつけ、以後長岡藩の菓子御用達を命じられたのです。参勤交代のさいに長岡藩の贈答用として長岡大和屋の菓子が使われ江戸でもたいそう評判になったとのことです。「米百俵の精神」の小林虎三郎は師匠の佐久間象山への贈り物に「越乃雪」が使われ、非業な最後を遂げた河井継之助など多くの人に愛された菓子です。明治天皇が北陸にご巡幸のときには御在所のお茶菓子として使われ、お供として随行していた岩倉具視、大久保重信が購入したという記録も残っています。第2次大戦のときには統制経済となり全国的に菓子類の原材料の供給が難しくなり製造を中断した和菓子屋さんが多い中で、商工省指定の技術保存商品として「越乃雪」だけは途絶えることなく作り続けられました。
寛永2年(1625)に「森下屋」の名で菓子屋として創業。明治2年(1869)に屋号を「森八」と改称。創業以来380年の歴史をもつ和菓子屋で、最高級品の和菓子を作り続けているのです。しかし金沢森八・長生殿も決して順調に歩んできたわけではないのです。平成7年にはバブル期のつまずきから和議の申請もしました。しかし平成16年3月には和議を終結し、再建を完了させて新しく歩んでいます。現在の金沢森八。長生殿は「世の中へのご恩返し」を目標に、理想の企業像としては「小さくても、永遠に生き続ける企業」を目指しています。金沢森八・長生殿の女将さんである中宮紀伊子さんの言葉として「私が女将ですと自信を持って言えるようになりました。私にとっても、森八にとっても最高の宝物、それはすばらしいお客様たちです。このすばらしいお客様たちに、少しでもご恩返しができますよう、今日も一生懸命につとめさせていただいております。」と語っています。バブル崩壊の影響を乗り越えた新しい金沢森八・長生殿の今後を温かく見守ってあげてください。
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